明日死ぬとわかったら何をするか


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もしあなたが明日死ぬ、とわかったら何をしますか?
明日死ぬかもしれないと思って生きている人は、ごく限られた人だけではないでしょうか。
しかし、もし明日死ぬとわかったら何をするか、という問いは、人生を考える上でとても役に立ちます。

私たち人間はいつ死ぬかわからない

私たちにとって、死ぬのはまだまだ遠い未来の話・・・のはずですよね。
年齢が若ければ若いほど、この傾向は強いはずです。
「自分はまだまだ死なない。」
こちらの記事にそのことを書いています。
 >>自分はまだまだ死なない、長生きできると思っている人へ
ある研究では、年齢を重ねるごとに、死に対する心の準備をしていくという結果があります。
いつかは死ぬ、とわかっているのに、死はまだまだ先のことだと考え、年をとるまで死に対する心の準備をしないということが言えます。
これは、日常の中に「死」がほとんど存在しない現代社会においてはしょうがないことでもあります。
死というのは「非日常」のことであり、「珍しいこと」です。
そのため、「死」が常に日常と隣合わせにあることを忘れてしまいがちです。

明日死ぬかもしれないのは私たち全員

棺を前に悲しむ親子の写真
しかし私たちは人間である以上、必ず死にます。
誰にも変えられない運命です。
そして死が訪れるのは、遠い未来のことではないかもしれません。
明日かもしれませんし、今日かもしれません。
それは誰にもわかりませんが、いずれ来るはずの死について考えることは、人生を考える上で大きなヒントをくれます。

明日死ぬとわかったら何をするか

では、もし「自分は明日死ぬ」とわかったら、どうすればよいのでしょうか。
「明日」というのがこの質問のとても重要な要素です。
あと10分ではほとんど何もできません。
あと1年では、「まだまだ先のこと」と思ってしまうかもしれません。
事故、災害、病気によって、何も考えられないまま死んでいく人たちもたくさんいます。
死が目の前に訪れた恐怖ははかりしれませんが、1日でも猶予が与えられたのであれば、それは親切かもしれません。

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リンゴの木がもたらしてくれること

自分の存在がこれからも続いていく

では、その1日で私たちは何をすればよいのでしょうか。
キリスト教の新しい宗派を生んだ宗教改革者、マルティン・ルターのこんな名言があります。

たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える

出典:マルティン・ルター

私たちが死を怖いと感じる理由の一つに、自分の時間が終わってしまうというものがあります。
これからも自分の時間が続いていくはずなのに、それが終わってしまう。
周りの人は変わらず生きていけるのに自分だけ消滅してしまう。
その恐怖に対して、この言葉は一筋の光を投げかけてくれます。

リンゴの木には将来リンゴが実り、それを食べる様々な生物の命につながっていきます。
例え自分の命は明日終わってしまうとしても、リンゴの木を植えるという行動によって、自分の存在が新しい命へつながっていくということを感じることができるかもしれません。

誰かの役に立ったと思えること

また、リンゴの木を植えることは、誰かのためになる行動です。
リンゴの実は誰かの空腹を満たしてくれます。
それは自分の人生の意味を見つけることにつながるかもしれません。
自分の人生は誰かの役に立った。
自分の人生は価値のあるものだった、意味のあるものだった、
と。
ルターは、リンゴの木を植える行動が、誰かの役に立ち、この先の未来につながっていくことを望んでいたのではないでしょうか。
そしてルターにとっては、それが人生の中で大切にしていたことではないかと思います。

まとめに

このように、明日死ぬとわかったら何をするかと考えることは、人生で大切なものを考えさせてくれます。
このブログの中でも、死を意識することの大切さを書きました。
  >>死を意識することで人生で本当に大切なものが見えてくる
  >>死を意識することは人生を豊かにする
人として生まれた以上、必ず死は訪れます。
明日死ぬとわかったら何をするかを考えることは、私たちが今この瞬間に何をすべきかを考えるためのヒントとなるでしょう。

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