死を意識することは人生を豊かにする


あなたは自分がいつ死ぬかわかっていますか?

自分の死は遠い

自分はまだまだ死なない、と思っている人はとても多いと思います。

私は30代なので、まだまだ死なない、と思っています。希望は90歳で、ホスピスか自宅で、死を受け入れて死にたいと考えています。

常に死と隣り合わせの職業(軍人さんとか?)の人でなければ、死は非日常のことだと思います。

特に、昔ほど家で家族を看取るということも少なくなり、目の前で誰かが亡くなるということは滅多にないことだと思います。私も、人が亡くなるのを目の前で見たのは看護師になってからなので、22歳くらいのころだったと思います。

葬儀社や火葬場は町の中にもありますし、「○○家告別式会場」という看板を見ることもあります。本や小説、TV番組や様々なメディアでも、死を連想させることも日々の生活の中で当たり前のようにあります。

ただ、それは「誰かの死」です。「あなたの死」ではありません。

死を意識した母

いつかは死ぬ、と誰もがわかっていることだと思いますが、自分が死ぬことを普段から身近に意識している人は少ないのではないでしょうか。

よく、50代くらいになるとなんとなく自分の残りの時間を意識するようになる、と聞きますが、私の母もそうです。私の母は60代ですが、祖母(母の実母)が亡くなってから、母は姉妹で出かけることが多くなりました。それまでは、姉妹だけで出かけることはほとんどありませんでしたが、近頃は、休みの度に出かけています。

そのことを母に聞いてみると、「もう姉妹で出かけられることもこれから先あんまり長くないから」と言っていました。

「 死」に 対 す る心 の 準備について検討された研究では、

人々は「死に対する心の準備」を40代から50代、60代にかけて有意に強めていく様子が窺える。

引用文献:高井範子著,実存分析的視点における生き方態度の発達的研究Ⅱ : PILと自己受容による検討、大阪大学教育学年報. 5 P.59-P.70、2000

と述べられています。

母も、年を取り死を意識するようになって、大切なものが何かということを改めて考え直したのだそうです。

休みの度に出かけるといっても、豪華なディナーや海外旅行ではなく、半日だけで桜を見に行くとか、ツアーでどこかのお城を見に行くなど、ぜいたくをするというものではありません。

ただ、その様子を見ていると、人生の中の愛すべきものを、大切に、大切に、慈しんで生きているように感じました。綺麗な生き方、という表現が合っているかわかりませんが、素敵だなと感じます。それも、死を意識することで、自分が本当に大切なものを再確認し、一瞬一瞬を宝物のように大切にできるようになったのではないでしょうか。

インド独立の父であるマハトマ・ガンジーは、次のように述べています。

明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい

まとめ

明日人生が終わるかもしれないのなら、今日この瞬間を、もっともっと大切に、宝物のように感じることができるかもしれません。

あなたも、日々の生活の中で「自分の死」を意識してみてはいかがでしょうか。

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