たとえ死んでも、自分のことを覚えている人がいる限り自分は生きていけるという考え方


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いずれ来る死

あなたは自分が死ぬことを考えることはありますか?

人としてこの世に生まれてきた以上、死は避けられません。生きる者は必ず死が訪れ、日々進歩する科学、医療でも死を止めることはできません。

動物が死をどのように認識しているかははっきりとはわかりませんが、人にとって、死は永遠のテーマであり続けています。

死とは

死の定義は様々なものがあります。wikipediaでは、このように記載されています。

(し、英語: death)とは、

ただし、何をもって人間の死とするのか、その判定や定義は文化、時代、分野などにより様々である。(→「死亡の判定・定義」節を参照)。一旦は命が無いとされる状態になったが、再び生きている状態に戻った場合、途中の「死」とされた状態を「仮死」や「仮死状態」という。伝統的に宗教哲学神学が死を扱ってきた。近年では、死生学法学法医学生物学等々も死に関係している。死の後ろに様々な言葉をつなげ、様々なニュアンスを表現している。例えば「死亡」「死去」「死没」などがある。

(引用サイト:wikipedia )

このように何を持って死とするのかは、文化、時代、分野などにより異なるため、確立された答えというものはありません。

私が病院で多くの患者さんの死に出会う中でも、宗教や文化により、死の捉え方は全く違いました。

私が印象に残っているのは、クリスチャンの患者さんが亡くなった時に、ご家族が、「私達にとって死は悲しいものではないから悲しまないで下さい」と言われたことでした。

主であるイエス・キリストのもとへいけることは悲しいことではないとおっしゃっていました。私が思う死とはあまりに違っていたため、驚いたとともに、死の多様性を実感した瞬間でした。

私が思う死

私が子供の時から思っていた「死」とは、言葉で表現すると、「無」「孤独」「寂しい」「終わり」「お別れ」「さよなら」という単語を連想させるものでした。

死んだらどうなるかということをイメージすると、いつも宇宙の中でポツンと自分がいて、自分という存在を認識せずに、ただそこにいる、という状況を想像していました。

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何も考えることもなく、ただ、じーーっとそこにいるだけ。浮かんでいるような、流れているような、でも存在というものはない、というなんとも言えない状況です。

怖くて怖くて、でもいつも考えてしまっていました。

人が死んだらどうなるか

人は死んだらどうなるのでしょう。誰もが考えたことがあると思います。

死後の世界も、三途の川だったり、生まれ変わりだったり、様々なものがあります。

しかし、それを体験した人はいるのでしょうか。

前世を占う人がいたり、生まれ変わる前の記憶を持つ人がいると聞いたことがあります。もしかしたらその人たちは、死後の世界も経験しているかもしれません。

死への恐怖、寂しさ

死への恐怖には何があるのでしょう。私が一番怖いのは、寂しさです。

死んだら誰にも会えません。大切な家族、恋人、友人。

死んだら何も感じることができません。すがすがしい朝の太陽、眠る前の気持ち良さ、美味しい食事。

私は死んだらこの世にあるもの全てと関わることができなくなります。生き続ける周りの人たちは当たり前のようにずっと関わり続けるものに、私はもう関われなくなるのです。

孤独です。寂しいです。私だけが一人きりです。一人、という存在すら無くなってしまったら、もはや「無」です。

この恐怖を私は死ぬ瞬間までずっと味わい続けなければいけないのでしょうか。

死への恐怖を和らげる、あるご家族の言葉

ある時、私が担当する男性の患者さんがお亡くなりになりました。

奥さんは悲しまれ、涙を流していました。

とても仲の良いご家族で、いつもお見舞いに来られて笑顔でお話をされていました。

患者さんが亡くなった時に、その奥さんは、

「夫のことを覚えている人がいる限り、夫は生きている。私は死ぬまで夫のことを忘れない、だから夫は生き続ける」

とおっしゃっていました。

よく、「あの人は私の胸の中で生き続ける」と、TVでも耳にすることがあります。

TVをぼーっと見ていた時にはピンと来ませんでしたが、実際にご家族の死を目の前にして出たその言葉は、私の胸にすーっと入っていきました。

この言葉は、私の死への恐怖を和らげてくれました。

私が死んでも誰かに覚えていて欲しい。私はその人の中で生きていられる。

死を怯えていた私は、「死んでも生きていける」という言葉にどれだけ救われたでしょう。

私のことを覚えていてくれる人

私が死んで、そのことを覚えていてくれる誰かとは誰でしょうか。

私は真っ先に子供のことを考えました。

時々、遊んでいる子供を見ながら、

「この子は私のことを覚えていてくれるだろうか」と思うようになりました。

私が死んでも、この子が私のことを覚えていてくれたら、私は寂しくないと思うようになりました。

それと同時に、私のことをどのように覚えていてくれるか、ということも考えるようになりました。

「優しい父」でしょうか。「厳しい父」でしょうか。「愛してくれなかった父」でしょうか。それは私にはわかりません。ただ、思い出すだけで辛くなってしまうような存在になってしまったら、例え私のことを覚えていてくれたとしても、とても悲しいです。死んだ後の寂しさの恐怖は和らぐことはありません。出来ることなら、「優しい父」のような、思い出せば心が温かくなるような存在でありたいと思います。そうであれば、私はその温かい絆を信じ、この世を旅立っていけるような気がします。

私達がすべきこと

私は、「誰かが私のことを覚えていてくれたら、死ぬことも怖くなくなる」かもしれないということを学びました。

そしてそこに温かい絆があれば、死への恐怖は温かい気持ちで拭い去れるかもしれないことにも気づきました。

そのために私たちがすべきことは、目の前にいる大切な人に、愛情を注ぐこと。そしてそれを言葉や態度で伝えることなのではないかと思います。

当たり前のことを言っているだけかもしれませんが、大切な人に愛情を注ぎ続けることがどれだけ大切かということを改めて感じます。愛することこそ人生、とも言えるかもしれません。

あなたは、死んだ後に誰に覚えていて欲しいですか?

あなたは、その人に愛情を注いでいますか?

私は、愛情を注ぎ続けていきたいと思います。

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